1968-05-16 第58回国会 参議院 社会労働委員会 第14号
その当時の事情を私知っておりますものですから申し上げますと、各省設置法というものがそもそも一体何をどこまで書くべきかというようなことは各省とも手さぐり中であった時代に、しかも、一方には、先ほど申し上げましたように失明軍人寮というものが官制でできておりまして、いろいろの附属機関も全部一本の設置法に書くという体制も確立しておらなかったので、省の設置法とは別に一本つくった、こういう情勢でございまして、これと
その当時の事情を私知っておりますものですから申し上げますと、各省設置法というものがそもそも一体何をどこまで書くべきかというようなことは各省とも手さぐり中であった時代に、しかも、一方には、先ほど申し上げましたように失明軍人寮というものが官制でできておりまして、いろいろの附属機関も全部一本の設置法に書くという体制も確立しておらなかったので、省の設置法とは別に一本つくった、こういう情勢でございまして、これと
○政府委員(今村譲君) これができましたのは、戦前は、東京にありましたのは、傷痍軍人の失明軍人寮というものが昭和十三年からずっと終戦後まで続いておった。
それから附属機関の方に参りまして、八十九番国立光明寮、それから九十番国立光明寮の施設整備、この二つの項目の中にただいまの失明軍人、傷痍者の収容補導の経費が入つてございます。この中には先ほど申し上げました五つのうちの光明寮関係の経費が入つてございます。もちろそれ以外の一般の分も含まれております。